都市開発や高層ビル建設において配慮すべき重要な項目の一つに、「風環境」がある。いわゆる“ビル風”と呼ばれる強風などを起こさないよう、建築する構造物が周囲の歩行者空間にどのような影響を及ぼすか、事前に予測・評価することが自治体の条例などで義務づけられている。
この風環境評価において、シミュレーションの全自動化を目指す株式会社大林組(以下 大林組)は、開発するプラットフォームの精度を確認する風洞実験において、オリックス・レンテックが提供する「風洞実験ソリューションサービス」を採用した。風洞実験に使用する都市模型を、3Dプリンターで製作したのだ。採用の理由は何だったのか。どのようなメリットが生まれたのか。
大林組設計ソリューション部アドバンストデザイン課の上田博嗣氏と、3Dプリンターによる都市模型の製作をサポートしたオリックス・レンテックの安田和磨に話を聞いた。
- 3Dデータを忠実に再現した都市模型の造形で、精度の高い風洞実験を実現。シミュレーションの精度チューニングを可能に
- 3Dデータの適切な修正で、造形用都市モデルの完成度UP。風洞実験に必要な加工や関連物製作もワンストップで対応
- 風洞実験にとどまらない、建築設計分野における3Dプリンターの活用可能性
3Dデータを忠実に再現した都市模型の造形で、精度の高い風洞実験を実現。シミュレーションの精度チューニングを可能に
大林組の設計ソリューション部アドバンストデザイン課は、建築デザインに関する技術的な検討や新しい設計手法を開発する部署だ。その中で上田氏が取り組んでいるのが、風環境評価のシミュレーションを全自動化するプラットフォーム開発である。
従来、風環境評価は、アクリル板や木材などを手作業で加工し、実際の街並みを表現した模型を用いた風洞実験で行われることが多かった。しかし近年では、CFD(Computational Fluid Dynamics:数値流体力学)解析というシミュレーション技術の進歩により、デジタル上で風の流れを数値解析することが主流になりつつある。さらに、ここ数年では国土交通省主導で整備されている3次元都市モデル「PLATEAU」の登場により、都市の3Dデータがオープンデータで利用できるようになり、風環境評価での活用などが期待できる。
「従来の風洞実験は、模型の用意など必要な下準備が多く、数カ月単位の期間や大きなコストがかかっていました。そこでCFDによる風環境評価が一般化してきたのですが、限られた計算能力の中で解析精度を向上させるための解析チューニングという課題があります。
CFDでは、精度を向上させるためのさまざまなチューニング手法があります。かなり専門的な話になるので詳しい解説は避けますが、「乱流モデル」や「離散化スキーム」、「メッシュ」などの設定が、大きく解析結果に影響するため、適切な設定となるようチューニングする必要があるのです。
風の流れは基本的には非定常現象(速度や方向などが常に変化している現象)なので、LES(Large Eddy Simulation)という乱流モデルを使用すると高い精度が得られることが分かっています。乱流とは「さまざまな方向に不規則に流れる」ことを意味します。
しかし、さまざまな要素を抱える都市に対してLESを適用するには、クラウドの計算リソースを使用してもまだまだ計算能力が足りていないのが現状です。
そのため、一般的にはRANS(Reynolds Averaged Navier Stokes)と呼ばれる乱流現象を平均化したモデルが使用されます。RANSは計算負荷を大きく減らすことができますが、苦手とする乱流現象があるという弱点もあります。そこで、限られた計算能力の中で可能な限り精度が担保できる、解析の設定条件を見つけ出さなくてはなりません。
そのため、CFDの解析モデルと同等の造形模型で解析チューニングの正解値(風洞実験の測定値)を求める必用がありました。それには、デジタル化された『PLATEAU』の都市モデルデータを可能な限り忠実に再現した模型での風洞実験を行うことが必要でした」(上田氏)
しかし、アクリル板や木材などを使用する、従来の手作業による模型造形の場合、再現の精度には限りがある。また広範囲の街並みを再現するために、縮尺を小さくすると、再現する建築物の数が増えたり、細かい加工が必要となったりするため、ディテールの再現が困難になる。さらに最終的に製作した模型用の3Dデータがないことがほとんどで、CFD解析データと造形模型を一致させることが困難になる。
そこで上田氏は、3Dデータを忠実に再現できる3Dプリンターを活用した、風洞実験用の都市模型製作にチャレンジすることを計画。さまざまな事業者を検討するなかで、「風洞実験ソリューションサービス」を提供するオリックス・レンテックに声をかけた。
当時のことをオリックス・レンテックの安田は次のように振り返る。
「もともと『風洞実験ソリューションサービス』は自動車や鉄道、航空宇宙分野での活用を想定していたので、建築という、私たちの思いもよらない領域からお声がけいただいたことに最初は驚きました。ただ、上田さまから内容をお伺いする中で、私たちの強みが発揮できると確信し、ぜひお力添えしたいと考えました」
3Dデータの適切な修正で、造形用都市モデルの完成度UP。風洞実験に必要な加工や関連物製作もワンストップで対応
本プロジェクトでは、高層かつ外形が複雑な建築物が数多く林立し、さまざまなビル風の影響が表れると考えられた、東京都新宿区都庁周辺が風洞実験の対象に選ばれた。「解析チューニングにおける正解値を求める」という目的のもと、より解析の難易度が高い場所を選ぶことが望ましかったためだ。「PLATEAU」のデータを用い、都庁を中心とした直径2m(縮尺1/800)の都市模型製作を3Dプリンターで行うことが決まった。
ただし、そのためには、事前の細かなデータ加工・修正が必要だった。
「『PLATEAU』のデータを縮尺サイズのまま造形すると、例えば建物の柱や庇(ひさし)などがかなり細く再現されてしまいます。そこで、出力上の制限や強度面での課題をクリアするために、厚みを付加する必要がありました。しかも、今回は歩行者空間の風環境評価を行う計画だったので、『上側のみに厚みを付加する』というルールを作りました。下側に厚みを付加すると、歩行者空間を通過する風速が変化して、実現象との差異が生じてしまうためです。そうした条件を理解していただいた上で、適切なモデリングを行っていただく必要がありました」(上田氏)
オリックス・レンテックは、2015年から3Dプリンターのマルチベンダーとして事業を展開してきた経験から、3Dデータの完成度を上げるノウハウを持ち合わせていた。
「大林組さまとは綿密にディスカッションさせていただき、一つ一つのルール決めや目的のすり合わせを行いながら進めていきました。3Dプリンターによる造形は、設計図となる3Dデータの完成度が何より重要ですので、作業者の間で齟齬(そご)が出ないよう少数精鋭で慎重に作業を進めました」(安田)
初めての試みだったこともあり、データの修正には約270時間を要したが、精度の高い実験結果を得るために必要な準備と捉えた。
また出力方法にも工夫を凝らした。微細な溝や反りが風の流れに影響を与えてしまうため、3Dプリンター特有の積層痕が残りにくい光造形方式を採用。また、大林組の風洞実験装置への搬入を考慮し、造形物をエリアや大きな建物ごとに分割して出力した。
完成した都市模型は、上田氏が想像していたよりも再現度が高かったという。
「建物の細かなデザインや歩道橋、地形の起伏など、忠実な再現度に驚きました。確実なデータ修正に加え、適切な素材を選んでくださったので、風洞実験の際、風に対する強度も申し分ありませんでした。
そうした都市模型自体の完成度だけではなく、風洞実験装置に設置するためのテーブルの製作や、風速計の固定用金具を差し込む穴の加工など、さまざまなオーダーに応えていただいたことも心強かったです。3Dプリンターによる都市模型の製作は、私たちにとってもオリックス・レンテックさんにとっても初めての挑戦でしたが、協力会社とうまく連携しながら、トータルで柔軟にご提案・ご対応いただけました」(上田氏)
「お客さまが抱える課題は、単に3Dプリンターで造形を出力するだけでは解決できないことがたくさんあります。お客さまの目的やニーズに寄り添い、ワンストップでご支援することを目指しています。今回の3Dプリンターによる都市模型製作という新たな分野の挑戦は、私たちにとっても大きな学びとなりました」(安田)
風洞実験にとどまらない、建築設計分野における3Dプリンターの活用可能性
今回の風洞実験用の都市模型製作は初めての試みで、3Dデータの修正検討や確認を慎重に行ったため、プロジェクトに要した期間は、従来の方法での模型製作にかかる期間とほぼ同等だったという。しかし、プロセスがある程度確立できたため、今後は期間を短縮できる見込みだ。何より、3Dプリンターで造形した都市模型により、精度の高い風洞実験を行えたことは大きな成果となった。
上田氏は、目指す「風環境シミュレーションの全自動化」に向け、3Dプリンターが貢献する可能性はまだまだあるのではないかと語る。
「CFDの解析チューニングをするためには、今回のように精度の高い風洞実験の実施が必要です。今後も都市模型の製作に3Dプリンターの力を必要とするケースが発生するでしょう。
まだアイデア段階なのですが、私は『PLATEAU』のデータ活用からシミュレーションの設定・解析・結果処理・レポート作成、自治体への申請に至るまで、風環境評価に関する手続きを全自動で完了できるようなパイプラインを構築したいと考えています。ゆくゆくは、建築設計の専門家でない人でも、住所検索キーワードを入力するだけで、風環境のシミュレーション結果が得られ、風環境評価に関する手続きも自動化できるようなプラットフォームにしたい。
また、風環境評価は建築物の規模によっては風洞実験での評価が必要なケースも存在します。そこでプラットフォームに3Dプリンターによる都市模型の造形発注などを組み込むことも、将来的にはあり得るのではないかと思っています。
他にも、これまでは風洞実験用だけではなく、お客さまへのプレゼンテーション用の模型も手作りで用意していましたから、建築業界の効率化・自動化を図る上で、3Dプリンターの活用機会は多いと考えます」(上田氏)
「私たちも、3Dプリンターによるソリューションが建築設計分野の発展に貢献できる可能性がまだまだあると考えています。今回のプロジェクトを通して得られた知見・ノウハウを活かし、今後も新たなチャレンジをご一緒できると嬉しいです」(安田)